弥生のムラ(大分県)
建物名 | 弥生のムラ | 住所 | 大分県国東市国東町安国寺1639-2 |
設計者 | - | 施工者 | - |
建築年 | 西暦200年前後 | 訪問日 | 2025/6/23 |
大分の国東半島を回っていた時にたまたま案内で見つけた弥生のムラ。
本施設は休館日でしたが、公園内にある復元された住居群を見ることができました。
吉野ケ里遺跡ほど整備されていませんが、広い公園内に葦の池や集落が復元されていました。
弥生時代になっても、住居は暖かい竪穴式住居と考えられています。
少し彫り込まれた中に入ると、建物によって異なりますが、外周に水除の溝が彫られていたり、少し盛土になっていたりと雨対策がされています。
吉野ケ里遺跡より竪穴は少ない感じ。
また、高床式の建物もあります。
こちらはおそらく倉庫として使われていたもの。
一部、土間のままの建物も。集会場か何かでしょうか。
上部建物は、現存しておらず、どのような構成が正しいかわからないものでしょうが、基礎の史跡などからいろいろ考証して、復元している姿を想像するのは興味深いです。
AIで縄文時代と弥生時代の住居の違いを聞いてみると、
縄文時代 | 竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ) | 地面を掘り下げて柱を立て、木や草で屋根を葺いた半地下構造。夏は涼しく冬は暖かい。定住生活の始まり。 |
弥生時代 | 竪穴式住居+高床式建物(こうゆかしきたてもの) | 竪穴式住居は継続しつつ、米の貯蔵などに適した高床式倉庫が登場。湿気や害獣を防ぐ工夫が見られる。 |
- 縄文時代は狩猟採集中心の生活で、自然環境に適応した住まいが重視されました。
- 弥生時代は稲作の普及により、食料の保存や集落の構造が変化し、建築にも機能性が求められるようになりました。
弥生時代の高床式建物は、基本的に倉庫としての用途が中心で、人が住む住居としては使われていなかったと考えられています。
なぜ高床式は倉庫だったのか?
- 湿気対策:床を地面から離すことで、湿気を避けて米などの穀物を長期保存できました。
- 害獣対策:柱に「ねずみ返し」を設けることで、ネズミなどの侵入を防ぎました。
- 風通しの良さ:通気性が高く、食料の劣化を防ぐのに適していました。
なぜ住居には使われなかったのか?
- 建築コストと労力:高床式は柱や床の構造が複雑で、住居としては資材や労力がかかりすぎました。
- 快適性の違い:竪穴住居は半地下構造で、夏涼しく冬暖かいという利点があり、住まいとして非常に合理的でした。
- 文化的慣習:縄文時代から続く竪穴住居の伝統が根強く、住居としての形態は大きく変わらなかったようです。
つまり、高床式建物は主に貯蔵庫として発展し、住居には適さなかったというのが現在の考古学的な理解です。