吉野ケ里遺跡(佐賀県)
建物名 | 吉野ケ里遺跡 | 住所 | 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843 |
設計者 | - | 施工者 | - |
建築年 | 紀元前5世紀~紀元後3世紀程度 | 訪問日 | 2016/2/11 他3回程度 |
吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼市と吉野ヶ里町にまたがる、弥生時代(紀元前5世紀~紀元後3世紀)の環壕集落跡です。日本最大規模の遺跡です。
40haもの広大な土地に、環濠集落が点在しています。公園としても気持ちがいい場所です。
環濠集落というだけあって、集落の周りには侵入を防ぐ濠(堀)や防壁などが張り巡らされています。
弥生時代には、食料などを備蓄できるようになり集落同士の争いがあったのでしょう。
主要な建物は竪穴式住居で、半分地下に埋まっており、茅葺の屋根だけが点在しているように見えます。
梯子を下って内部に入ると、1.2mほど彫り込まれ意外と広々しています。
この竪穴式住居は温熱的に非常に理にかなっていて現在の古い住まいより暖かいです。
というのも、地面を掘るほどに、その土地の平均気温に近づき、外気温より暖かくなります。
また、当然床付近には隙間はなく、足元の冷たい冷気は感じられません。腰あたりから冷たい冷気が入っても、空気は熱容量が小さいため足元に到達する前に程よく暖まります。
弱点は、地面からの湿気で、食品や置かれたモノがカビやすいことでしょう。
住居の周りを見渡すと、高床式の建物も目に入ります。
近づいてみるとネズミ返しがあり、穀物倉庫とわかります。
保存のために高床の乾燥する建物をつくっているのです。
他には、巨大な建造物もあります。
儀式用の神殿(神様に近い場所)や物見櫓で、高床式の建物はどれも居住用ではありません。
寒いところに住むことはなかったのでしょう。
それが平安時代に入り、1万年以上も住んできた快適な竪穴式住居から一部の貴族が権威付け?のために高床に居所を求め始めたのでしょう。
鎌倉時代に入っても武士の上下関係を示す意味で、高床のまま現在に受け継がれているのではないでしょうか。冬は我慢してしのぐのでしょう。
ようやく、現在ではしっかり断熱、気密を行えば高床でも暖かく住むことができるようになってきました。