別子銅山(愛媛県)

| 建物名 | 別子銅山 | 住所 | 愛媛県新居浜市 |
| 設計者 | - | 施工者 | - |
| 建築年 | 1691年~1973年 | 訪問日 | 2025/8/28 |
愛媛県新居浜市にある日本三大銅山の一つ。
高知に行く途中で、別子銅山に寄り道。近代史の一端が見れます。すごい迫力。
東洋のマチュピチュの名にふさわしい光景。閉山後50年で自然に帰りつつある。
崩れかけた人工物と自然との絡まりあう光景は、独特の美しさがあります。
軍艦島もそうですが、人の営みと産業は強い相関性があります。
未来に向けて残すべき地域はどうあるべきか、一過性の産業か、地域に根差した取り組みか考えさせられます。
別子銅山も人新生の地層に保存されていくのでしょうね。
住友グループが1691年から1973年まで283年間にわたり操業した銅鉱山で、江戸時代から日本の近代化を支え、約65万トンの銅を産出しました。
現在は閉山していますが、かつて多くの従業員が住んでいた「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる地域や、トロッコに乗って坑内を見学できる観光施設があり、近代化産業遺産として注目されています。
銅山坑道へはトロッコで向かいます。現在は徒歩での移動はできませんでした。

この日は35℃を超える炎天下でしたが坑道内は19.4℃と涼しいです。
ただ、深さ1000mまで掘られた坑道下部はかなりの高温だったとのこと。

坑道の全体像。ピンクの層が銅鉱石の層で、縦横無尽に掘られています。

岩肌はきらきらと鉱石の跡が見て取れます。

次に向かいにある水力発電所に
川沿いにあるのでてっきりこの川の水で発電しているのかと思いましたが、吉野川水系から数十キロを経て引いているのだとか。坑道も利用しているとのこと。
位置エネルギーを利用するので当然といえば当然です。

鉱山から見えない背面には耐震補強で鉄骨のバットレスが出ています。

内部は、発電容量が相対的に小さくなった発電機が一部取り払われ、変電気が設置され変電所として終盤まで活用されていました。

川側の地下から1台だけ残った発電機の中を見ることができます。

続いて、東平(とうなる)地区へ。
最盛期には5000人が住んでいたとか。閉山後50年で廃墟に近い姿に。

住居跡は基礎(レンガ造)を残して跡はなし。


レンガで作られた厨房は残っている。

インクライン跡は階段に





敷地の一部に昭和12年に住友迎賓館として建てられた泉寿亭が移管されている。



